ピアノレッスン

昨日は新しい先生になって初めての月曜日レッスン。
17時30分から18時30分までのレッスンなので、
家に帰ったら速攻で晩ごはんをしないといけない。
習い事って日常の時間的余裕がなくなるよな。
特に家で練習せなアカン習い事は、練習時間の確保という問題もある。
それでも!それでも何もない人生はツマラナイと思う。
で、芸術というのは最終的には主観的つまり好みの問題になってくる。
私のやってるショパンのワルツだけど、
前の先生と新しい先生では教え方が全然違う。
一拍目だけにペダルを踏み、二拍三拍を徐々に弱く弾く左手なんやけど、
そのペダリングをとても苦労して練習をしてたんよ。
ところが新しい先生は三拍目までペダルを踏みっぱなしで良いと。
むしろそうしないと右手のメロディが揺れないと言う。エエェェーー。
一拍目だけにペダルを踏むのは巨匠の弾き方で、
それでメロディを出すのはとても難しいんだそうだ。
それよりもメロディが揺れる事のほうが大切だと。
大体ショパンはここでペダルを踏んでここで上げてと明記しておらず、
自分の理想とする演奏を常に人が聴いていると意識して弾きなさいと言ったらしい。
まさに芸術。
でもそれってある程度大人にならないと理解できへんよな。
子供の頃のレッスンで、先生に良く「感情を込めて」と言われたけど、
言葉の意味は分かるけど、どうしたらいいのかちっとも分からんかったもん。
そして娘に関しても今までとは違った教え方になったようで、新鮮味があったみたい。
レッスンが楽しかったと言ってたから。
馴れてダレてきていた気持ちにまたヤル気が出てきたように思う。

■連絡帳で問う

呑気に芸術について語っている場合ではなくなった。
母は知ってるのだろうか、私が結構短気であるという事を。
しかし自分自身それを分かっているので、
正しい事を言ってくれそうな存在(つまり実家の母)に聞いてみる。
私の考えは客観的にどうであるのかを。

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晩ごはんで食卓を囲んでいる時、何気に娘から聞いたのだ。
今日の給食はパエリアと洋風煮とパンと牛乳、
デザートとしてオレンジだったと。
娘は蜜柑やオレンジ等の柑橘類が好物だから、
オレンジが出て良かったやん!と言ったところ、
自分はオレンジを食べられなかったと答えるのだ。
おかずを残した者は、先生にデザートを取り上げられると言うのだ。
給食費を納めている以上、トレーの中の物はその子の物でしょ。
デザートも含めて一食分の給食なのです。
苦手なおかずを残したからと言って、その中の一品を取り上げるなんて。
まだ良かったのは、娘があまり不満に感じていない事だ。
先生が決めたルールだからと、そういうものなのだと思っている様子。
それはまだ無垢で無知であるからであって、
先生のする事がいつも正しいとは限らないのだ。
だっておかしいでしょうよ、普通におかしいと思うでしょ。
それなのにおかしいと思わず、
むしろ善だと思ってそれをやってる担任の感性がもう嫌だ。
その担任がやりたい事の方向性は分かる。
例えば余ったデザートをじゃんけん争奪戦する時、
自分の給食を残した子は参加できないとか、それなら文句はない。
で、母に言われたのは最初からギャーギャー騒がず、
娘から聞いたことが事実なのかどうか、まずはそれを連絡帳で聞けと。
話を進めるのは、その回答が返ってきてからだと。
だからさっき、事実なのかどうかだけを連絡帳で問うたわ。
(ま、事実に決まってるけどな!)
本当はオレンジが食べたかったやろうなぁと娘を不憫に思ったので、
ハウスミカンを買ってきて、食後のデザートとして出した。
白いスジを取りながら食べてたわ、あの子。
それにしても無性に腹がたってきて、何か寝付けない。
何でこんなに腹がたつのか。神経質で短気だからなのか。
ところで取り上げたオレンジはどうなったのだろう。
担任が食べてたらビックリやな。